「神武天皇祭」
神武天皇崩御の日とされ、宮中の皇霊殿で儀式(宮中祭祀)が行わることから、1874(明治7)年から1948(昭和23)年まで大祭日となっていた日。神武天皇は日本の初代天皇で、名前は古事記では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)と称され、日本書紀では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される。
神武天皇という呼称については奈良時代後期に淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされる。
日本書紀によると日向国(現在の宮崎県)から東征して熊野・吉野を通り大和(現在の奈良県)を平定、紀元前660年1月1日(新暦2月11日)に大和の橿原宮で即位した。
崩御日は紀元前586年(神武天皇76年)3月11日と記され、これをグレゴリオ暦に換算して4月3日としている。
はじまりは1860年(万延元年)3月11日に神武天皇の御陵祭として始まり、1871年(明治4年)9月に定められた「四時祭典定則」で規則化され、その後、1908年(明治41年)9月19日制定の「皇室祭祀令」で改めて法制化され1947年(昭和22年)5月2日に廃止されるまで祝祭日として続き、現在も宮中祭祀として存続している。
「日本橋開通記念日」
1911年4月3日、東京の日本橋が木橋から石橋に架け替えられたことから。日本橋は江戸時代から現在まで日本の道路交通の中心となっており、橋の中央には国道の起点となる「日本国道路元標」が設置されている。
「愛林日」
1934年から日本でかつて行われていた国土緑化の記念日。元々は1895(明治28)年に来日し講演したノースロップ博士が「愛林日(Arbor Day)」の精神を説き、1898(明治31)年、神武天皇祭の4月3日が本多静六林学博士の提唱により「植栽日」となったのがはじまり。
大日本山林会会長・和田国次郎、農林次官・石黒忠篤らにより、1933(昭和8)年4月2日から4日までの3日間を「愛林日」とし全国一斉に愛林行事を催すことが提唱され、翌年には日本初の中央植樹行事が茨城県の「鬼が作国有林」で行われた。この中央植樹行事は現在「全国植樹祭」となっている。
「ペルー日本友好の日」
1899年4月3日、はじめてのペルーへの日本人移民790人が佐倉丸でペルーのアンコン港に上陸したことから。100年後の1989年8月20日にアラン・ガルシア大統領政権下のペルー政府がペルーと日本の友好の輪を広げ、一層の発展を遂げるために制定した。
「いんげん豆の日」
日本にいんげん豆を齎したとされる隠元禅師が1673(延宝元)年4月3日に亡くなったことから。「みずの日」
1998(平成10)年に京都市の清水寺を始めとする全国の「清水寺」で作る「全国清水寺ネットワーク」が制定。四(し)三(み)で「しみず」(清水)の語呂合せ。
水と環境に感謝する「心と地球の浄化祈願祭」が行なわれる。
「シーサーの日」
シーサーの発祥地である那覇市壺屋で2002年より実施。四(しー)三(さー)で「シーサー」の語呂合せ。
「資産運用の日」
四(し)三(さん)で「しさん」の語呂合せ。フィデリティ投信株式会社が制定。
「葉酸の日」
四(よう)三(さん)で「ようさん」の語呂合せ。葉酸の認知度を高め、妊婦や女性にその摂取を呼びかけようと「葉酸と母子の健康を考える会」が制定。
「フォーサイトの日」
四(フォー)三(サイト)で「フォーサイト」の語呂合わせ。行政書士、社会保険労務士などの資格取得の通信講座で知られる株式会社フォーサイトが楽しく学べ、わかりやすく効果的に勉強ができ、教育効果の高い通信教育をアピールする目的のために制定。
「シミ対策の日」
四(し)三(み)で「しみ」の語呂合せ。基礎化粧品会社・クリスタルジェミー社長の素肌美研究家中島香里氏が女性の肌の悩みのひとつ「シミ」に対して「しっかりと手入れをして美しくなりましょう!」と「シミ」をなくして美肌への意識を高めるきっかけの日とするのを目的として制定。
「趣味の日」
四(し)三(み)で「しゅみ」の語呂合せ。木世(えい)出版社の関連会社・サイドリバーが制定。
「隠元忌」
日本黄檗宗の開祖・隠元禅師の1673(寛文13)年の忌日。明の禅僧で、1654(承応3)年に渡来し、その時に隠元豆など様々なものを日本に齎した。
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